アナログ人生デジタル化     風と共に一本の道がある

18'/5月:ルーツと0~22歳, 18'/6月:83'年ワーホリでオーストラリアバイク一周26000km日記形式と写真で(約200日)19'/1月:84'年にバイクで日本一周10000km(約50日) 20'/4月:92'年末~93年2月初めのサハラツーリング (5000km)他

毎日更新 1983年 バックトゥザ 昭和58年6月5日 22歳 国際運転免許証 ワーキングホリデー ワーホリ オーストラリア一周 バイク旅ブログ タイムスリップ 終活

今日は国際運転免許証についてです。

ガイドブックなどで調べた情報によると、

オーストラリアでは日本の免許証で代用出来ること。

日本では県の公安委員会で国際運転免許証を発行してくれるということ。

そこで、私は国際運転免許証は取らずに出発します。理由は準備において貯めたお金が予定よりも少なかったので、バイクの免許証は使わないかもしれないという事です。(自動車免許はまだ持っていませんでしたが、バイクの中型免許はありました)

しかし、こういう技があったのです。オーストラリアでは日本の免許証が代用出来るが、現地で警察官等が読むことが出来ない為、オーストラリアの日本総領事館で日本の免許証を翻訳した証明書を発行してくれるという事を聞いたのです。そこで、最初の到着地のシドニーで日本の総領事館へ行き証明書を発行してもらいました。しかし、なんと一度もこの証明書を警察官等に見せた事はありませんでした。後日その証明書はアップします。

お気づきの方もいると思います。ネタバレしない程度に書きますと、この時の準備段階ではどうやってオーストラリアを回るかなどの計画はほぼなかったということです。

行き当たりばったりの珍道中が待っていますので、どうぞお楽しみに!

タイトルにバイク旅と入れているのにと思っていた方はしばらくお待ちください。

 

したがって、当時の国際運転免許証はないのですが、参考までにこの約10年後別の旅で必要なために取ったものを下にアップします。

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毎日更新 1983年 バックトゥザ 昭和58年6月4日 22歳 保険 ガイドブック ワーキングホリデー ワーホリ オーストラリア一周 バイク旅ブログ タイムスリップ 終活

今日は海外旅行保険とガイドブックです。

海外旅行保険はエアチケットを買った旅行会社で加入しました。出発日の1983年6月10日から7か月間です。いつ帰ってくるかは決めていませんでしたので、適当に期間は決めた覚えがあります。ワーキングホリデービザは6か月間取れていましたが現地で延長も可能と聞いていましたので、保険期間を7か月間にしたようです。大学の休学は1年間にしていたので、1984年3月までには帰ってこようかなあくらいの感じでした。補償はほぼ最低レベルに設定して、保険料を11210円支払っています。もちろん下の写真の契約証とハンドブック、インシュアランスカードはずっと携行していました。

いま気づいたのですが、このあとの約200日において、バイクでオーストラリアを一周する間は常に危険と隣り合わせでした。しかし、保険のハンドブックの1ページ目をめくって見ると、なんと自分の血液型を書く欄があるのに書いていません!準備が次から次へと必要でしたので、忘れていたようです。幸いにもこの保険を使わなかったのか、それとも使ったのかは今から約200日後に判明します。

 

ガイドブックは当時定番の「地球の歩き方 オーストラリア&ニュージーランド」を買いました。もちろん出発前にかなり読んだと思いますが、バックパッカー向けのところが多く実際にはそれほど活躍はしてくれませんでした。しかし、日本語を読む機会が少ない時はたまに読んでいましたし、シドニーでの最初の宿はこのガイドブックで決めました。表紙と裏表紙がボロボロになっていますので、バッグからの出し入れが多かったと思います。妄想計画ではオーストラリアをある程度回ったら、お隣のニュージーランドも行ってみたいなとは思っていました。

明日は国際運転免許証についてです。

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毎日更新 1983年 バックトゥザ 昭和58年6月3日 22歳 エアチケット ワーキングホリデー ワーホリ オーストラリア一周 バイク旅ブログ タイムスリップ 終活

今日はエアチケット、トラベラーズチェック、現金についてです。

まずはエアチケットです。ワーキングホリデービザ申請時の条件に、「往復航空券又は相当の預金残高証明書」とあったので、事前に往復航空券を買いました。当時の正規往復運賃は約42万円でしたが、福岡の旅行会社で格安航空券を探して、23万円の1年オープンのタイ航空の往復チケットを買いました。最安ですので、なんと出発から到着まで25時間半もかかります!大阪からマニラ、バンコク(5時間のトランジット)、ケアンズ、ブリスベン、やっとシドニーです。(各駅停車状態?)

オープンチケットとは予約変更可能のチケットです。(変更不可能チケットはフィックス)ただし、入国地点と出国地点の事前指定が必要でしたので、シドニー着(東海岸)とパース発(西海岸)を指定しました。なぜなら大陸の両端(距離は約4000キロ)は必ず行こうと思っていたからです。(このことがこの年の12月に思わぬ出会いにつながっていきますが、まだ5か月以上先の事です。今ではLCCなどを使えば、3~4万円の往復航空券が出るほどの時代ですから隔世の感があります)

 

次に、トラベラーズチェック(旅行用小切手)です。当時でもクレジットカードはあったと思いますが休学中の自分には全く頭にありませんでした(ググってみると学生向けクレジットカードができたのは1987年でしたので当時はありません)。東京銀行(いまの三菱東京UFJ銀行)へ行き、下の写真のメモを見ると$2350(オーストラリアドルは1983年当時レート年間平均が214円ですがこの時は240円)を約56万円で交換しています。トラベラーズチェックは紛失しても再発行がきくので現金を持ち歩くリスクを回避できます。当時使ったトラベラーズチェックの控えは見つかりませんでした。現金と交換する際に控えがあったかも思い出せません。

(2014年に日本ではトラベラーズチェックは販売停止になったそうです)

 

最後に現金ですが、やはり同じ東京銀行で交換しました。とりあえずバンコクやシドニーで使うかもしれないので、アメリカドル$100をアソートパック(種類の違う紙幣セット)で交換しました。

さあ少しずつ準備が整ってきました。

明日は海外旅行保険とガイドブックについてです。

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エアチケットとなんと座席の半券です

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エアチケットの写しですがもう分からなくなっています

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東京銀行での控えですがこれまた消えています

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これはトラベラーズチェック使用の記録です。色んなことが思い出されます!







 

 

 

毎日更新 1983年 バックトゥザ 昭和58年6月2日 22歳 パスポート ビザ ワーキングホリデー ワーホリ オーストラリア一周 バイク旅ブログ タイムスリップ 終活

初の海外旅行ですので、すべてが初体験のことばかりでした。まずはパスポートとビザです。パスポート申請がまず先ですので、福岡県庁へ行きました。その頃は最長で5年間でしたので、5年を選び、手続きをして1983年5月9日に発行されました。

続いてはビザ申請です。いまはインターネットで申請できるようで便利ですねぇ。まずは大阪のオーストラリア総領事館に問い合わせて、申請手続きの方法を聞き、申請用紙を郵送してもらいました。下に写真をアップしていますが、

①パスポート

②申請用紙

③写真3枚

④1000ドル以上の預金残高証明書(オーストラリアドルで約25万円相当:当時レート)

⑤往復航空券又は相当額の預金残高証明書 が必要です。

(④と⑤で50万円以上になります)

そして、なんと面接が大阪のオーストラリア総領事館でありました。

申請用紙を郵送後に、1983年5月25日の面接を予約しました。大阪までバイクで往復しようかとも思いましたが、リスクも考えて新幹線を使いました。簡単な面接だったと記憶していますが、行きたい理由ややってみたい事、やってみたい仕事などを申請用紙に書いていたので、これらについて詳しく説明したと思います。落ちる可能性もあると言われたので不安はありましたが、この約1年の様々な出来事により、持ち前の根拠のない自信がますますアップしていました。面接はとても緊張感があってテンションも高い気分でしたが、集中力で乗り切った感じです。審査がありビザは即日発行はされませんので、大阪からは日帰りで帰ってきました。

後日連絡がありビザ申請が通ったので、6か月間のワーキングホリデービザの発行が決まりました。受け取りはオーストラリアへの出発地を大阪空港(伊丹)に設定していたので、出発前に大阪の総領事館で受け取ることにしました。さらに大阪では国際学生証を申請し発行してもらいました。こちらは即日発行されました。

明日はエアチケットとトラベラーズチェックについてです。

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毎日更新 1983年 バックトゥザ 昭和58年6月1日 22歳 日記形式 ワーキングホリデー ワーホリ オーストラリア一周 バイク旅ブログ タイムスリップ 終活

いよいよ始まります。お待たせしました。本編スタートです。

ほぼ人生後半、というより終盤間近?を迎えました。いつか発表したいと思っていましたが、そのいつかがやっと来ました。時間は35年もたってしまいましたが、こうして少しでも共有、共感したい体験を書いていくのはとても楽しくワクワクしています。私は、過去ばかりを振り返ったり、昔話ばかりをする大人?が好きではありませんでした。ではなぜ今回初めて過去を残そうと思ったかは、読んでいただければわかるのですが、膨大な量の体験を近しい人に伝えることだけでも不可能であるならば、逆にオープンにして、デジタルの力を借りてアナログな出来事を表現したほうがいいのでは、と思ったからです。

35年前の1983年6月からの約200日分の記録と記憶をもとに、毎日の日記形式で書き綴っていきます。幸いにも当時の日記(もともと日記をつけたことがなかったのですが、この時ばかりは軽い気持ちでつけておこうくらいの気持ちで、縦15×横9cmくらいの小さなメモ帳を2冊買って持っていきました)と、色あせし始めた約1000枚の写真が残されていますので、活用していく予定です。しかし、写真の本格的なデジタル処理はコストがかかりますので、画像の鮮明度についてはご了承ください。(資金の余裕ができれば差し替えていきたいです)   色あせも時代感が出ていて味があるかもしれません。

これからの9日間はオーストラリアでのワーキングホリデーへの準備と計画を中心に書いていきます。(6月10日が出発です)

 出発にあたって必要なものは、

①パスポート、ビザ、国際学生証

②エアチケット、トラベラーズチェック、現金(オーストラリアドル&日本円)

③海外旅行保険、ガイドブック

④国際運転免許証

⑤身の回り品 

⑥英語力

⑦勇気    です。

明日から順番に書いていきます。

 

【この前年の1982年に世界で初めてインターネットの概念が提唱され、約10年かかって少しずつ広がっていきます。しかし、その頃は国際電話料金も高かったので、外国との情報のやり取りはほとんど郵便でした。もちろんメールもありません。

1993年時点でも双方向電気通信でやり取りされた情報の総量のうち、インターネットを使ったものは1%にすぎず、2000年にはそれが51%に成長し、2007年には97%以上の情報がインターネット経由でやり取りされていたそうです】

 

 

メモ帳のような日記です。

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自分でも読めない?

毎日更新 1983年 バックトゥザ 昭和58年 22歳 ラストレース 大学休学 春 ワーキングホリデー アルバイト三昧 福岡大学 旅ブログ 終活ブログ

さていよいよ明日からは、本編スタートですが、スキー部の春合宿や最後のレースにも出場し区切りを付けました。名残惜しいスキー部での4年間でしたが、未来を見つめて進んでいく気持ちが勝っていました。ありがとうスキー部、そしてスキー部にかかわったすべての人に感謝します、ありがとうございました。

そして春休み中の昭和58年3月25日に、休学の手続きで福岡大学の学生課へ行き、1年分の学費の3分の1である85770円!を払いました。(休学で学費いるんや~と思いました、大学にいないのに日本にいないのに、、、)

いよいよキター!という感じでテンションが上がっていきます。が、しかし、また問題が!スキーと休学費用でお金をちょっと使いすぎて資金不足になっていました。あと出発まで約2ヶ月半ですのでピンチです。そこで、Sくんの知り合いのところで「マンションのボイラー交換工事」のバイトを約2か月間毎日やりました。その結果なんとかまとまった資金が貯まりました。目標額の100万円よりはやや?少なかったのですが、向こうで働くことができるビザですから楽天的に考えるしかないと切り替えました。

長いプロローグでしたが、これまでに旅行記などをたくさん読んだ経験から、実際にそこに至るまでの歴史、出来事、考えなどを踏まえて読むと、文章のより深い部分や繋がりをもっと感じれると思ったからです。

ぜひ周りの若い世代にも読んでもらいたいです。明日からもよろしくお願いします。

明日から1週間は当時の準備の状況を紹介していきますが、実際はもっと前から少しずつやっていました。実際の時系列では進んでいきませんので、ご了承ください。

 

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友人から連絡があり、よう何でも保存しとったねえと言われました。

「ちゃんと、とっと~と!」

毎日更新 1982~83年 バックトゥザ 昭和57~58年 22歳 大学4年 冬 国体 スキー部 ワーキングホリデー 福岡大学 旅ブログ 終活ブログ

大学4年でもスキー部の合宿には参加しました。自分のこともですが、後輩らへのヘルプや指導もありましたので、続けました。オフシーズンはバイト三昧でトレーニング不足でしたが、福岡県の国体予選を無事通過し、群馬県草津温泉スキー場(先日噴火しましたねぇ)で行われた国体へ出場しました。(結果は秘密です)草津白根山のかなり上からのスタートでしたが、気温がマイナス20度で風もあったので、鼻毛、まつ毛、髪の毛等が凍ってパリパリ状態でした。まばたきがあんなに重く感じたのは初めてでした。

下の2,3枚目の写真の紺色の滑降競技用のワンピース(レーシングスーツ)ですが、時効ですので白状します。ワーキングホリデー資金の為にスキーショップでバイトしていましたが、ウェアやグッヅの販売をしながら取り付け等の作業もしていたと昨日書きました。その仕事ぶりかひたむきさが伝わったのか偶然か、あるメーカーの担当者がサンプル品のバッグやウェアなどを80~90%オフで売ってくれるという話がありました。その中の大きなバッグ(2400円)を買いました。その時にこのワンピースをタダでくれたのです。約20~30万円!新品同様でしたが数回使われたらしく、なんと南米チリの女子代表選手用でした。(タグに書いてありました)立体裁断仕様で直立するとお腹部分が突っ張るトップレーサークラスのウェアでした。もちろんオーダーメイド品です。これが2年前の大学2年の時に現れてくれていたらどうなっていたでしょうか。運命や宿命、偶然や必然、時間や空間、すべてがその時に理由、意味があって存在していることがわかり始めた時期でもあります。

そして、この時2400円で買ったバッグに荷物を詰めて、この5か月後にオーストラリアを共に一周することになります。

だんだんとその時が近づいてきました。後日詳しい準備はまとめて書いていきますが、妄想しながら少しずつ色んなことを整えていき備えていきました。

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毎日更新 1982年 バックトゥザ 昭和57年 22歳 大学4年 夏~秋 ワーキングホリデー アルバイト三昧 福岡大学 旅ブログ 終活ブログ

さあアルバイト三昧の日々が始まりました。これまではスキーの為にやっていたことがワーキングホリデーの為に変わるだけですが、予算(目標額は100万円)がちょっと大きくなります。したがって効率的なバイトを探しました。まずは昼間ですが、前からやっていたスポーツショップのスキー売り場での、グッヅ販売と板へのバインディングの取り付け等のバイトです。慣れている上に、好きなことは疲れも吹き飛びます。

これが大体朝10時から19、20時くらいまでです。その後一旦実家へ帰り食事と仮眠をとった後は、23時から朝9時まではコンビニです。当時昼間のバイトは時給400~500円くらいでしたが、夜間のコンビニは時給700円でした。24時から6時までは1人で掃除や賞味期限切れのチェックやレジ回りの仕事をしました。1人の勤務は不安な事もあったのですが、派出所が近くにあり時々パトロールで来られていましたので大丈夫だと思っていました。そのコンビニはビルの一階で上の階には住居もありました。そして、ちょっと事件がおきました。上の階の住人?らしき人が両替に来始めたのですが、一万円札を千円札に両替してに始まり、二万円分を全部千円札になどと金額がエスカレートしていきます。そんなに千円札はないので、断るとコンビニのカウンターを足で蹴って罵倒していきます。これは警察に届けておこうと連絡すると派出所から2人の警察官が来てくれました。なんとこんなアドバイスでした。「キッチンの包丁などの刃物は使わないで、バットなどを隅のほうにおいて正当防衛で防いでください。」??? おそらく夜中にばくちをやっているので、両替に来ていると思うと言われました。

夜中のバイトはさすがに毎日は無理でしたが、確か週3.4回は入っていましたので、2,3日はほとんど寝ていないという時もあり、良い子はマネしないでねというくらいのハードスケジュールでした。しかし、これを来年春まで続けていくことでオーストラリアへ行けるのならとやり切る決意はみなぎっていました。

さあどういう展開になっていくのか!?

 

前述のスキーショップでのバイトはオーストラリアから帰ってきても再開したのですが、2年後にはこんな認定も受けています。

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これもこの2年後です。

 

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コンビニバイトへ激励に来てくれた、SくんとAくん、私の髪はなぜかパーマがかかっています。というのはこの隣に美容院がありパーマモデルになってよーというお願いがあり引き受けたからです。人生最初のパーマでした。

毎日更新 1982年 バックトゥザ 昭和57年 21歳 大学4年 春 運命の出会い 女神 ワーキングホリデー 即断即決 スキー部 福岡大学 旅ブログ 終活ブログ

3年間のスキー部での活動が終わり、2年間務めた幹事も引退しました。やり切った感はありましたが、余韻にひたるどころではなく、これからのことを考える時期が来ていました。まずは卒業に向けての計画ですが、なんと単位を全然取れていません。4年で満タンで単位を取っても5年目つまり留年が確定していました。自業自得ですので、それほど落ち込むことではありませんでしたが、さてこれからどうしていこうかと考えていた正にその頃です。

現れたのは女神ではなく高校の同級生のSくんでした。「こういう制度ができたんやけど一緒に行かんや~?」彼から話しを聞いて即断即決、一緒に行くと決めました。そうですやっとこのブログを書くきっかけになったオーストラリアへ行く話です。彼の情報では、約1年前に日本とオーストラリアがワーキングホリデー制度の取り決めを決定したとのこと。インターネットも携帯電話もない時代ですし、できたばかりの制度ですから情報が少なく苦労しました。今はオーストラリアの領事館は、東京、大阪、札幌、そして我が街福岡にもありますが、その頃は東京と大阪だけでした。大まかな情報として、年齢制限があること(18~25歳)、ビザは最初は6か月取れ、現地で延長もできること。(注意:現在は制度の変更もあっていますので最新情報を調べてください)就労出来るので、働きながら暮らしたり旅することが出来ること、などを聞きました。決めたら準備です。そうとにかくまずはお金です。 そうこの時は英語力は二の次でした。それがあとあと、、、

今はかなり知られた動物になったコアラですが、日本に初めてコアラが来たのはこの翌々年の1984年ですし、おなじみのコアラのマーチの発売も1984年です。

新婚旅行もまだ非常に少ない頃でしたが、比較的安全であることや自然に恵まれていること、ひとつの大陸にひとつの国という旅行しやすい珍しい国であることは魅力でした。したがって、世界からはたくさんの旅行者が訪れていたので、様々な出会いが生まれました。

続きは明日に。

 

     ↓アルバムに貼っている当時の観光パンフレットです↓

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ワーキング・ホリデー英語: Working Holiday)とは、2国間の協定に基づいて、青年(18歳〜25歳または30歳)が異なった文化(相手国)の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める査証及び出入国管理上の特別な制度である。原則として、各相手国ごとに一生に一度しか利用できない

毎日更新 1982年 バックトゥザ 昭和57年 21歳 大学3年 春 スキー部 ノルディック 全関西学生スキー選手権大会 福岡大学 旅ブログ 終活ブログ

今日は自分の種目ではないノルディック種目の特集です。たくさんの当時者の方々に聞きましたが、専門ではないので、間違っていたらすみません。

距離(クロスカントリー)競技ジャンプ競技、これらを合わせた複合(コンバインド)競技の3つがあります。

距離競技は、15km、30km、リレー(4人でタスキを渡していく駅伝方式)に分かれていて、複合競技は15kmとジャンプの合計ポイントで競う仕組みです。ジャンプ競技は2本合計の飛距離と飛形点で競います。

我がクラブのキャプテンのTくんは2年生の時に距離15kmで4位入賞を果たしており、3年生の今年は更に上位入賞を目指していましたし、リレー競技も8位入賞をしていました。また、ジャンプや複合競技の入賞を目指して福岡大学体操部の協力で体操競技用のマットレスを借りたり、新しいジャンプ板をクラブで購入したり、昨年オフにできたてのジャンプ台を下見したりとサポート体制を整えていました。

本番が始まります。まずは距離15kmです。キャプテンのTくんは見事4位!Nくんは惜しくも9位でした。そして距離30km はTくんが3位!です。TCくんは惜しくも9位でした。複合競技は2人が入賞です。Oくんが5位、TKくんが7位。

そして大会最終日に行われたリレー競技ではなんと見事に優勝!!!

我々アルペン種目のメンバーも自分たちの競技が終了し、リレー競技を応援していましたので、超感激です。この翌年もリレー競技は優勝して連覇を達成しています。凄いです!九州のクラブです。

さきほどTくんと電話で話した追加情報です。鳥取県大山の距離(クロスカントリー)のコースは整備されておらず、練習を始めるにはまず溝を作るというコース作りを毎朝数時間もやっていたそうです。ハンディだらけの状況からの優勝にはさらなる価値があります。

下の写真の一番左上の1年生Fくんはアルペン種目の選手なのですが、1年生からジャンプに挑戦していました。そして、この2年後になんと3位入賞を果たしています。

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全日程終了後にクロスカントリーリレー競技優勝メンバーらと 一番右が私