3年間のスキー部での活動が終わり、2年間務めた幹事も引退しました。やり切った感はありましたが、余韻にひたるどころではなく、これからのことを考える時期が来ていました。まずは卒業に向けての計画ですが、なんと単位を全然取れていません。4年で満タンで単位を取っても5年目つまり留年が確定していました。自業自得ですので、それほど落ち込むことではありませんでしたが、さてこれからどうしていこうかと考えていた正にその頃です。
現れたのは女神ではなく高校の同級生のSくんでした。「こういう制度ができたんやけど一緒に行かんや~?」彼から話しを聞いて即断即決、一緒に行くと決めました。そうですやっとこのブログを書くきっかけになったオーストラリアへ行く話です。彼の情報では、約1年前に日本とオーストラリアがワーキングホリデー制度の取り決めを決定したとのこと。インターネットも携帯電話もない時代ですし、できたばかりの制度ですから情報が少なく苦労しました。今はオーストラリアの領事館は、東京、大阪、札幌、そして我が街福岡にもありますが、その頃は東京と大阪だけでした。大まかな情報として、年齢制限があること(18~25歳)、ビザは最初は6か月取れ、現地で延長もできること。(注意:現在は制度の変更もあっていますので最新情報を調べてください)就労出来るので、働きながら暮らしたり旅することが出来ること、などを聞きました。決めたら準備です。そうとにかくまずはお金です。 そうこの時は英語力は二の次でした。それがあとあと、、、
今はかなり知られた動物になったコアラですが、日本に初めてコアラが来たのはこの翌々年の1984年ですし、おなじみのコアラのマーチの発売も1984年です。
新婚旅行もまだ非常に少ない頃でしたが、比較的安全であることや自然に恵まれていること、ひとつの大陸にひとつの国という旅行しやすい珍しい国であることは魅力でした。したがって、世界からはたくさんの旅行者が訪れていたので、様々な出会いが生まれました。
続きは明日に。
↓アルバムに貼っている当時の観光パンフレットです↓
ワーキング・ホリデー (英語: Working Holiday)とは、2国間の協定に基づいて、青年(18歳〜25歳または30歳)が異なった文化(相手国)の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める査証及び出入国管理上の特別な制度である。原則として、各相手国ごとに一生に一度しか利用できない。