アナログ人生デジタル化     風と共に一本の道がある

18'/5月:ルーツと0~22歳, 18'/6月:83'年ワーホリでオーストラリアバイク一周26000km日記形式と写真で(約200日)19'/1月:84'年にバイクで日本一周10000km(約50日) 20'/4月:92'年末~93年2月初めのサハラツーリング (5000km)他

毎日更新 1983年 バックトゥザ 昭和58年6月7日 22歳 英語 勇気 ワーキングホリデー ワーホリ オーストラリア一周 バイク旅ブログ タイムスリップ 終活

準備の最後は英語力と勇気です。

まずは英語力です。この1年、英語は全く勉強しませんでした。優先順位をもっと上げて勉強しておけば、向こうでもっと楽しめたかもしれません。しかしながら、目の前のことをどんどんこなしていくばかりの時は、できないことも当然あるわけで、私は超人ではありません。超人で思い出しましたが、昼間のスキーショップでのバイト中に、立っている状態なのに睡魔が襲ってきてフラフラして、ついにはひざから力が抜けていき、倒れてしまったことが何度かありました。本当に眠い時は、なんと他のバイトの女の子に「今から10分寝るけん見張っとって!」と伝え、スキーウェアの試着室で寝ました。(売上高NO,1のバイトだったから許されたことです)

 

次は勇気です。時期は覚えていませんが、こんな大事件がありました。ワーキングホリデーを教えてくれて、一緒に行こうと誘ってくれたSくんから連絡があり、事情があって一緒に行けないという話でした。

ショック~!!!!!!!!!!!!!

想像していたオーストラリアでの様々な妄想計画が消えていきました。しかし、100点満点の80点をとれるくらい?に準備してきましたので、行くのをやめる選択はありませんでした。

この時の感覚はデジャビュのように染み付いていて、思い返すとこの15年程の間で3回ありました。

1回目:8歳の時に、5人の仲間と初めてのMy自転車で長い坂を登っていると、みんな諦めて下っていくのに一人で登り切って、遠い叔母のところまで行ってしまったこと。

2回目:19歳の時に、スキー部の同級生が次々とやめていくのに続けたこと。

3回目:22歳の時にワーキングホリデーで一人で行くことになったこと。

 

いま振り返ると「飽きやすの好きやす」(博多弁がわからない方は一番下を参照)という博多弁のような22年間でしたが、しっかりとした芯(コア)ができている時期だったのかもしれません。

人に頼らず生きていくことを身につけていき、自立心を育む必要があったのかもしれません。

明日はいよいよ大阪へ出発ですので、ここで費用についての明細を書きます。当初は100万円貯める計画でしたが、スキー等で使ってしまい、結局約80万円が貯まりました。実際にかかったのは、

①パスポート:5,500円(写真代含)

②ビザ:20,000円(ほとんどが大阪までの交通費)

③国際学生証:1,000円

④エアチケット:230,000円(往復)

⑤トラベラーズチェック:600,000円(向こうでの費用)

⑥現金(オーストラリア&米ドル):20,000円

⑦現金(日本円):30、000円(帰国後福岡へ帰るための交通費等)

⑧海外旅行保険:11,210円

⑨衣類:5,000円(ほとんどがあるもので済ませました)

⑩その他:5,000円(サンダル、他)

合計:約930,000円

え!赤字!ではなく、高校の先生や友人、親戚、両親からの餞別がありましたので足りています。この場で改めてお礼を申し上げたいと思います。

「本当にありがとうございました。助かりました」

また、壮行会も開いていただきありがとうございました。

さあ明日はやっと福岡を出発します。

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↑↑↑↑↑↑このイラストを描いた高校の同級生はデザイナーになっています

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飽きやすの好きやす とは、飽きっぽくて惚れやすい、熱しやすく冷めやすい性格を指しますが、移り気なことを、進取の気性ととるか浮気性ととるかは微妙です。