福岡市中央区平尾にあった福岡県立福岡中央高校へ合格し進学します。自宅から自転車で10分(飛ばして5,6分)でしたので近いほうでした。古めかしい校舎や男女比率が1対3(元は女学校なので)という未知の世界でしたが、徐々に慣れていきました。食堂でのスカートをはいた突撃軍団の凄まじさは印象に残っています。このブログの2018年5月5日で書いた山越えの自転車エピソードで、私がたどり着いたところが叔母の家とありますが、この叔母もここの卒業生です。有名な卒業生では、芥川賞作家の森禮子さんと大道珠貴さん、サザエさんを書いた長谷川町子さん、俳優の米倉斉加年さん(警固中学校でも先輩)、タレントの森口博子さんがいらっしゃいます。
勉強は科目が細かくなっていき好き嫌いが少しずつ出てきました。が、これから3年間皆勤するほど大好きな学校になっていきます。芸術系の学科はないのですが、受験中心のイケイケ校ではなかったので、(最近では東大合格者も出て変わっています)ゆったりとした空気感があり、日本庭園や茶室や和室等も年季が入っていました。更に、窓が変わっていて木製なのですが、上下に動かして開け閉めする仕組みで、通称はなんと「ギロチン窓」、たくさんの卒業生がこの窓から何を見、感じていたのでしょうか?
ここで大きな出会いがありました。友人のSくんです。彼は3年になる時に転校していくのですが、その後も付き合いは続き最初の高校1年の出会いから6年後、彼から私の人生の大きなターニングポイントであるワーキングホリデーの情報が入るのです。この話は来月に。
Sくんとはバイクと釣りでも繋がり、雪の中を山へツーリングにも行きました。私の最初のバイクは原付のヤマハ TY50 でトライアルバイクの雰囲気のみでパワーはありませんでした。2サイクルでたったの4馬力しかなく山道は苦労しました。確か新車で10万円ちょっとでしたが、相変わらず新聞配達は続けていましたので自分で買いました。たったいま分かったことですが、これからバイクを通算で6台買うのですが、新車で買ったのはこのバイクだけです。話が前後しますが、もちろん原付免許を取りました。高校ではバイク通学は禁止でしたので3年間自転車通学でした。(暴走族全盛時代です、なんと当時は全国で500以上のグループがあったそうです)