最後の小学校生活では、学級委員と共に生徒会活動を始め、体育委員長になりました。運動会での台上でのあいさつはとても緊張した覚えがあります。
5年生の時に塾へしばらく行ったりしましたがすぐ辞めたり、それからも英語教室、柔道の道場、サッカークラブなどを経験しました。長続きしたのは1年くらいですが、広く浅くできたことは良かったかなと思います。
6年生の時に新聞広告で見つけたある模試の募集に目がとまり、無謀にもチャレンジしました。それは、有名私立中学のラサールや久留米附設を受験する小学6年生向けの模試で九州全体の規模で行われました。小学校では習わない事がたくさん出てかなり難しく、悪戦苦闘した覚えがあります。結果は秘密です。(110番)この時はまさかこの30数年後に我が子らが中学受験をするとは想像もつきませんでしたし、改めて思うことがあります。何かを見、何かを聞き、何かを喋り、何かを感じていくことが、時空を超えてそれらがネットワーク状に繋がることによって新しいものが生まれていくのだということを。
小学校の図書館では、ジュールベルヌの地底旅行、海底二万里、十五少年漂流記などを読み、家ではドリトル先生シリーズを全巻揃えて読んでいました。
ここにもこの後の人生での種が蒔かれていたことがわかります。
警固四つ角近くのジーンズ専門店でジーパンを買い始め、少しずつ色気づき始めたのもこの頃ですし、妙に女子を意識しだしました。背は低かったけど、気持ち的には思いっきり背伸びしていましたし、けっこう哲学的に考えてもいました。が、天神(福岡市中央区の九州最大の繫華街)が近かったせいで、天ブラを始めてしまいます。
今のソラリアプラザにあった、スポーツセンターでスケートをしたりその横のセンターシネマで映画を見たりしました。大好きな本屋へもよく行きました。
また、この時期のインパクトが残っている記憶は、夏休みに赤坂公民館主催の、今宿野外活動センターでの3泊4日のちょっと長いキャンプに行きました。夜中に起きて山に登り(マムシの赤い目を見ました)、洞窟で仮眠して頂上で日の出を見たり、ドラム缶の風呂に入ったりしました。