写真がないので拙い文章のみで表現します。小さい頃からソフトボールは割と良くやっていました。町内会のチームに入り、5年生の途中からレギュラーになり、キャッチャーでした。そして、6年生のエースピッチャー佐藤さんとバッテリーを組み、予選を勝ち上がり西鉄ライオンズのホーム球場の平和台球場でプレーをしました。そして同時期に西鉄ライオンズは身売りして太平洋クラブ、クラウンライターと転々と名前が変わり現在の西武ライオンズへとなりました。
平和台球場は歩いてすぐでしたので、西鉄ライオンズ時代に父とよく行っていましたが、西鉄ライオンズの黄金時代は終わっていたので負けだらけ(首位阪急と43.5ゲーム差の最下位)の我慢の時期です。そして、たしか7回以降は外野席が無料でした。
平和台球場は福岡城址の中にあり、周りには堀があって、そこではよく釣りをしていました。ふなや雷魚が釣れましたし、大濠公園横の堀でタニシでザリガニ釣りもやっていました。お城の石垣を一番上まで登るという現在ではたぶん禁止されていることをやっていましたし、堀の水面近くの石垣に横穴を見つけ暗い中をかなり進むと行き止まりでした。もしかしたら江戸時代の抜け穴でしょうか?
そういえば5年生で初めての学級委員をやったのですが、何をやったか全然覚えていません。ちゃんとやっていたのでしょうか?
新聞配達は相変わらずで、年上の中学生や高校生とつながりも出来、250ccバイク(スズキハスラー)の後ろに乗せてもらい高校生になったら自分のバイクが欲しいと思うようになりました。